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生きる!

とあるコンサートの舞台監督を請け負ったときのこと。
第一部が終わって休憩時間に入った。
ストップウォッチをまわして休憩時間15分のカウントをはじめる。
ロビーから制作さんが舞台袖へ駆け込んでくる。
「目の前の駅で人身事故だ」
この会場はビルの6階に位置していて、あたりに高い建物もなく駅周辺が一望できる。廊下に出ると、一面のガラス張りから駅の様子が見れる。
その事故が起こったと思われる箇所は、ホームの端のよう。
乗客がその周辺に近づけないようにロープが張られている。
そして、そこから先の陰惨だろう風景を隠すようにブルーシートを壁にしている。
ホームにいる乗客も何が起こったのかと、そのロープの先の光景を覗こうとしているように見える。駅から少し離れた立体歩道橋の上からも駅の様子を見ようと野次馬が立ち居並んでホームのほうへかぶりついて見ている。
そんな様子さえも一望できる廊下には、コンサートに来たお客さんもずらり並んで様子を見ている。
何を思うか、のんびりと眺めるおじさんもいれば、様子を見て、自分の子供をそそくさと席へうながすおばさんもいる。
ここから見る光景は、ロープの先の隠された場所さえも見渡せてしまう。
二十名前後の警察官や鉄道職員、救急隊員が作業しているのが見える。

自分は予定通り第二部開始の5分前に1ベルを鳴らす。
ポツリポツリとお客さんは席へ戻っていく。
しかし、事の成り行きを気にして後ろ髪ひかれるようでなかなか席へと戻らない。
結局、1ベルが鳴ってから、5分以上の時間を待って第二部開始の合図を送る。
もちろんコンサートのメンバーには、そんな事件があったことは告げなかった。

そして、第二部が始まる。
なんの因縁であろうか。
第二部のオープニングを飾る曲のタイトルは「生きる」であった。

このタイトルを改めて確認した瞬間、泣き叫びたい衝動に駆られた。
生きる!
生きることを訴える、その曲が歌われているこの演奏会のすぐ傍では、生きることを放棄した死というものが眼前に横たわる。
生と死の同居。
この現実。
生を訴えるもの。生を放棄するもの。

―今しばらく筆をとどめて考えたが、この胸を締め付けるものを言葉に書き起こすことは出来なかった。稚拙な筆力。失念。―

しかし、今思い出すだけでも胸が締め付けられ、涙もこぼれようとする。
目の当たりにしたものは、この大きな世界の一部でしかなく、今この瞬間もそういったことは起こり続けている。
それでも、僕らは生きていることを訴え続ける。
ふと思った。
「生きろ。そなたは美しい」
というセリフが宮崎監督の映画に出てくる。
この意味をボクは捉え違えていたのかも。
生きること、生きようとする(あなたの)ことが美しく尊いといっていたのかもしれない。
CAで見せて行きたいのは、現在進行形で「生きる」が行われる姿だ。
その「生きる」姿をどう見ていただくか。
今この瞬間に感じている「生きる」をどう伝えるか。

次回公演でもお客さんと、そしてメンバーみんなとそのことを共有する時間に彩り、いつの日にかは多くの人々とそれが分かち合えるように続けていきたい。

と、演出家斎藤は、かく思う。

※追記
文中、「生きることを放棄した」という発言を書いたが、事件の真相を追跡調査をしたわけではないので、実際には自殺というようなものでなく事故かもなのしれない。
憶測でものを語るべきではないことなので、そのことをここへ書きとどめておく。
文中では、その瞬間に自分の感じたことを伝えたいという思いから憶測ながら決めつけるような形で書かせていただいてる。
改めて、事件に関わられた皆様の尽力に敬意を示し、当事者の方のご冥福をお祈りしたいと思う。

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