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普通からの脱出

大学時代の卒業論文のテーマは「非日常性空間」というものであった。
大学4年に提出されたこの題目は、5年をのんびりと過ごした挙句、いよいよ6年生になって、やっと向かいあった。
まずは、「空間」とは何かを定義すべく図書館に篭もった。
といっても、提出の一月前であったので、篭もる期間もなく困ることとなる。
「空間論」関係の書物は、その定義に見たこともない数式が羅列されるばかりなのである。加えて言えば、空間論をやろうとすると時間論もあわせてやらないと中途半端になってしまうことも分かった。
焦る自分は、「日常」の定義に入った。
もちろん、これまた難しいものであった。
何をもって日常とするか?
明確な定義をできることもなく、詭弁を弄して、「舞台論」にすりかえて卒論を書くことで卒業単位を得た。ただし、自分の卒論担当主査は「卒業したいのならば及第点を与えるが…」という苦い評価をくだしたのだが・・・。

とにかく、「日常」やら普通やら普遍を定義することはきわめて難しい。
時代背景から含めての環境要因や、個体ごとの差異など考慮することは無限にあり、ある側面に特化したとしても、その結論をつけることは容易いことではない。

その昔、CAにおいて「普通」に関するアンケートを行った。
CAのステージでは、全パフォーマーが、演奏・ダンス・フラッグ・演技と様々な表現手段を使う。メンバーそれぞれのジャンルによって得手不得手はあるが、舞台でショウとしてみせていくには、「オール5」とまでいかなくとも「オール3」以上の技術力は取る必要があるだろう、と考えた。
評価「3」つまり「真ん中」「普通」というのはどのくらいのレベルを指すと考えられているのか?
もちろん、このアンケート内容は「抽象的」すぎるし、「絶対的普通」を考える事は困難であるといえた。
しかし、相対評価であれ、何らかの形で「普通」を考察することは内省するきっかけになったとも言えるであろう。
このアンケートで得る十人十色の回答は、平均値を取るためというより、各メンバーのそれぞれの技術向上に対する欲求の度合いを知ることとなる。
例えば、フラッグの技術力の普通とは?で「100回投げて50回取れれば普通」に思う人もいれば、「100回全てとらなければ普通ではない」と思う人もいるだろう。
また、普通基準で「悪く目立たない」=「全体の中で目立たなければ普通」と書けてしまえば、私は表現者としてひどく消極的な姿勢に感じられてしまう。
「普通」アンケートは、CAが上達するためのスタート地点に立つ基準であったといえる。
なるべく具体的に「普通」を書き出した「普通」をもとに、自己分析をきちんとしたうえで「何をすべきか」自分の目標を定めることが課題になったことは間違いない。
そうしたうえで、練習してれば必ず上手くなるはずだし、上手くならなければ周囲の責任であろう。
ただ人間の能力は不公平にできているため、他人と同等の練習しても効果を得ない場合がある。
そうであるならば、周りの人以上に練習すればよい。
それくらいをかけて作品に臨んでいくかどうかは、その人の心意気だとも思うし、本当に全力を尽くした上で、お客さんが作品を満足しなかったならば、それは脚本やら演出の責任である。

そんなことを考えながら、いまある「普通」から脱出を試みる。
脱出して、それが「普通」になってくると、また脱出を試みていかなければならないのだが、それが大切なのだろう。

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