- 2007-10-31 (水)
- Ⅲコラム
今回は指導することについて。
経歴にも書いてあるので、改めて書いておくと、大学在学中は応援部というサークルにいた。
応援部というお固い組織にいて、あらゆる決まりごとを斜めに見る(不良な)新人時代があった。揚げ足を取るがために応援部史を徹底的に読んでいた。
なんとか大学2年にあがり人からモノを教わるだけでなく、新人にモノを教えるという位置にたった。
合理的にモノを教えることが難しかった。
神宮球場で遠くに見える先輩方に絶叫しながら挨拶。
駆けていって腕章を渡す。
腕章を渡す向きも決められている。
相手に腕章のW(早稲田のイニシャル)が見えるように両手で渡す。
けれど2年生を通じて、ひとつのキーワードで見えてくることがあった。
それは全て、「相手のことを思う」ということ。
「絶叫する」ことが重要なわけではなくて、遠くにいる相手に思いを伝えるために声を張り上げなければならなかっただろうとか、腕章も気持ちよく相手が受け取れるように向きを考えて渡しているだけである。(今、大学を出てみれば、ものの渡し方は一般的な作法で当たり前な話なのだが)
それが最初にはじめられたときには、きっと考えられていただろう「相手のことを思う」という行為が、長い月日を経て、結果だけを「ルール」として伝えられる。人によっては頭ごなしに、「こうあるべきだ」と伝えられたこともあったであろう。
さらに責任をもつ立場の3年生になって、全責任を負わなければならない4年生になることを踏まえて、1・2年生をとりまとめていく。
この時期についた「新人監督補佐」という役職が、今の自分に大きく影響していると思う。
肩書きがついて指導する側の人間になったのは初めてであった。
応援部の右も左もわからない新人たちに、ここがどんな場所かを教えていく。
時に理を持ち、時に理不尽に。
世の中、理屈で割り切れる話ばかりだけでない。
そんなことはどんなひとでも頭で分かっているが体で分かっちゃいない。(注:体罰とはちがいますよ)
どうしたら実感させてあげることができるのか。
何がモチベーションをあげるのか。
3年で考えたことが運営学年のドラムメジャーの基本方針となった。
スタッフのアシスタントである3年生には12のルールを配った。
そのうちのひとつ。
《人を「たたきつける」ではなく「たきつける」》
人を「たきつける」方法。
一文字増えると「たたきつける」になってしまうが、双方の関係はそれくらい紙一重だ。
指導者はこうあるべきだという形はないと思うが、ただ、その根本には「相手を思うこと」があり、だからこそ「たきつける」ためにどうしたらいいかを考えるというスタンスはもつべきだと考える。
「たたきつける」ことで可能性を奪うのではなく、「たきつける」ことで可能性を育む。
現在では、演出家と言う立場にあり、よく岐路に立たされる。
あるメンバーを活かし育てるために、自分のやりたいことに制限をかける。
自分のやりたいことを通すために、ある人の育てる機会をなくす。
「演出家なんだから、やりたいことやればいいんじゃないの?」
学生時代と違って、お客様に喜んでいただくことが一番としている団体でもあるから最終的な判断がメンバー個人に対して厳しい結果になることもある。
それでもなお闘志を燃やし続けられるプレイヤーに育てるためにはどうしたらいいか。
人は使わないと(起用しないと)育たない。それもまた真実。
そのバランス感覚を研いでいくことが、指導者を育てることにもなるのだろう。
- Newer: 音楽、時間、演出
- Older: 「情操教育」という前に…。(執筆:斎藤美明)